椅子と机と文具についての考察

ウイスキー片手に振り返る僕らの日々

the summer ends

いくつもの冬といくつもの春が過ぎて、カレンダーをめくる速度が歩く速さを追いこし、いつしかめくることをやめてしまった頃、僕は今の僕になった。
その間にいくつもの約束をして、いくつもの約束をふいにされ、いくつもの約束をして、いくつもの約束をふいにした。
大人と呼ばれるようになり、それなりの報酬を得てそれなりの自由を失った。
 
も、僕自身は何も変わらなかった。
精神的にも肉体的にも変化は見られなかったし、僕の僕に対する屈折した評価も変わらないままだった。
僕の変化を強いて上げるとすれば、それは感傷的になったことだ。
とはいえ、僕の感傷というのは後悔や失望に起因するものではなく、その時そのときを点のようにとらえておこるものだった。
そして、僕はずっと昔から感傷的だったし、感傷的になることが大人になることなら、僕にはずっと昔から大人になる素質があったことになる。
 
15のとき、初めて女の子と寝た。
20のとき、祖母を亡くした。
25になって、僕は僕自身をようやく取り戻した気になっていたが、
30になったとき、それはもろくも崩れた。
 
雨の日に傘を持たずに町に出て、次の日のことなど考えずに酒をのんだ。
それを若さだとかんがえていた。
だから、大きなお腹を抱えた妊婦や立派な背広をきた紳士をみても、ちっともそれを幸福だとは思わなかった。
 
 
明け方、なにも写らないテレビをみながら僕は自慰行為をした。淡白だが、理想的な自慰行為だった。
そして、僕は遠い春の日のことを思い出していた。
まだ寒さの残る春で、僕は何かを恐れ、それから逃れるように彼女を求めた。彼女も同じ体温で僕を受け入れた。今日みたいな明け方だった。理想的な明け方だった。
彼女とは一般的な恋人関係を全うしたし、バランスよく愛し合っていたと思う。しかし、今彼女がどうしているかは全くわからなかったし、興味もなくなっていた。
僕は物事を為すときにバランスを第一に考えてしまう。愛しすぎていないか、愛され過ぎていないか、加減を常に伺っている。
そんな僕の天秤は、使い古された天秤は、その両脇に抱える重さに飽き飽きしていた。
 
もう時間は迫っていた。
僕は語らないといけない。
ドアを開けると隙間から冷たい風が入ってきた。
まだ寒さの残る春だった。