椅子と机と文具についての考察

ウイスキー片手に振り返る僕らの日々

きっと風のようだと言って

僕はいつだって忘れてしまう。
愛する君を失うこと。
愛している場所を、時間を、瞬間を失うこと。
どうしようもなく、それは必ず起こることなのだということ。
それでも、僕はハッピーエンドもバッドエンドも見ない。
ただ、
3度の食事をして、
昨日のことと、今日のことと、明日のことを考えて眠る。
それはおかしいことなのだろうか?
 
いつか、
繰り返し続けるルーティンが崩れたとき、
くだらない日常が、何気ない瞬間が、二度と戻らなくなったとき、
気付くのかもしれない。
時間を止め、フィルムを繰り返し、あてもない奇跡を願って、夢を見続けるのかもしれない。
 
そのときに言ってほしいんだ。
 
哀しくて仕方がない終わりも、
小さな部屋に残された続きも、
君が忘れていった、些細でかけがえのない奇跡も、
「きっと風のようなものだ」と。
 
そして、朝まで隣にいてほしい。
お酒とコーヒーを飲んで、くだらない話を聞いてほしい。
君も忙しいだろうから、いつまでもいてもらうつもりはない。
朝が来たら大きく手を振って、そして歩き出したいと思う。
空白の向こう側へと。
 
 
 
先日レコーディングした新曲の歌詞を載せます。
音はもう少しお待ちを。
歌詞について1つだけ。
”希望を描く”ということが、僕が曲を書くときの哲学です。
希望と一言でいっても、
言葉以上にその明度・彩度のようなものは様々です。
僕は大衆音楽もアングラなものも大好きです。
その中で自分なりの色味が出せるように日々格闘しています。
これまでの曲についても、この曲についても、希望を描くという試みが成功したかはハテナですが、
いつか会える日まで、またゆっくりと考えてみようと思います。
それでは。
 
 
 
空白の後で
 
「何もいらない。」
ただずっと絵を描いている
誰もいない部屋でただ絵を描いている
 
"決まって夢を見るの"
誰かに連れ去られてしまうような
 
全部嘘に変わってしまった
君は奇跡を願う そしてまた空白
 
誰も知らないまま物語は終わって
誰も知らないまま物語は始まる
 
そして君は絵筆を置いた
決して奇跡は起きない
続きは眩しいまま、長い空白の後で
 
触れる度に零れる記憶が君を今日も優しく狂わせる
全部嘘に変わってしまった
君は奇跡を願う そしてまた空白・・・
 
僕らも狂ってる
奇跡を願っている
世界は描き出す、終わりも続きも奇跡も
"きっと風のようだ"
と言って